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雑司が谷案内マップ

雑司が谷案内マップ 法明寺 鬼子母神堂 ケヤキ並木 雑司が谷旧宣教師館 雑司ヶ谷霊園 大鳥神社 清土鬼子母神 本納寺 清立院 威光稲荷


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法明寺

日蓮宗、威光山。創建弘仁元年(810)、もとは真言宗のお寺でしたが、正和元年(1312)、日蓮聖人の弟子日源上人により改宗、現在の寺号に改められました。 江戸時代から桜の名所として知られ、『歩蔵国雑司谷八境』のひとつに「威光山( 法明寺) 花」と記されています。参道から山門に続く風情ある桜並木は、今も訪れる人の目を楽しませてくれます。 境内には、曲尺、算盤、天秤など度量衡の珍しい図案が彫られた梵鐘や酒井抱一筆の朝顔が描かれた蕣(あさがお)塚があり、また墓地には楠公息女の墓(姫塚)や豊島氏累代の墓があります。

鬼子母神堂

天正6年(1578)の創建。清土(文京区目白台)から出土した鬼子母神像を祀るため、里人たちが叢林を拓いて堂を建てたのが始まりと言われています。現在の本殿は寛文4年(1664)に、前田利常の息女で安芸藩主浅野家に嫁した自昌院殿の寄進により建立されたもので、区内最古の建造物です。江戸時代前期より、子授け、子育ての神様として庶民の信仰を集めてきました。本堂および鳥山石燕画「大森彦七図」、二代目鳥居清満画「三人静白拍子図」の絵馬は東京都有形文化財に指定されています。また、日蓮上人を供養する「お会式」は、今も毎年10月16日〜18日に行われ、枝垂れ桜を模した万灯が夜の街を練り武く様はとても幻想的です。

子授けイチョウとケヤキ並木

 

鬼子母神境内の大イチョウは、応永年間に植えられたものと伝えられ、樹齢600年に及ぶ大樹は、子授けイチョウ、子育てイチョウとして親しまれてきました。秋の黄葉時には、あたり一面が黄金色に輝く落葉の絨毯になります。 参道のケヤキ並木は、天正年間に雑司ヶ谷村の住人長島内匠が奉納したものと言われ、樹齢400年を数えます。大イチョウ、ケヤキ並木ともに、東京都の天然記念物に指定されています。往時の参道両側には、茗荷屋、蝶屋、武蔵屋などの料理茶屋が並び、『遊歴雑記』にその繁盛ぶりが記されているほか、歌川広重画「江戸高名会亭尽」など浮世絵にも描かれています。

雑司が谷旧宣教師館

明治時代に布教のため来日したアメリカ人宣教師ジョン・ムーディ・マッケーレブにより、明治40年(1907)に自宅兼布教活動の拠点として建てられたもので、区内最古の木造洋風建築です。 木造総二階建て、カーペンターゴシック様式を用い、屋根窓に半円アーチを施して下見板張りの外壁をもつこの建物は、19世紀後半のアメリカ郊外住宅を基調としており、明治時代の我が国における外国人住宅の一つの典型と言えます。 また、マッケーレブは、敷地内に雑司が谷教会を建てたほか、布教活動の一環として、雑司ヶ谷学院や雑司ヶ谷幼稚園を開設し、青年たちへの英語教育や幼児教育活動を行いました。しかし、太平洋戦争前夜の昭和16年、在日米大使館の勧告により帰国を余議なくされました。 昭和57年、保存を訴える住民運動に応え区が土地と共に買いあげ、保存修理工事後、一般公開しています。 平成4年に区指定文化財、同11年には東京都指定有形文化財に指定されています。

雑司ヶ谷霊園

明治5年(1872)神葬墓地として開設され、明治七年に共葬墓地となった都営霊園です。 面積約10万uの霊園内には、緑豊かな樹々や四季折々の草花が咲き、副都心池袋に隣接する区域とは思えないほど静かで落ち着いた佇まいを見せています。また、江戸時代、霊園西側に将軍家の鷹狩り用の鷹を飼育する御鷹部屋があり、今も緑の枝を広げる「御鷹部屋の松」にその名残を見ることができます。 墓域内は著名人の墓が数多くあり、夏目漱石をはじめ、小泉八雲、泉鏡花、永井荷風、島村抱月等の日本文学史にその名を刻む作家たちや、漂流してアメリカに渡ったジョン万次郎、開明派の幕臣小栗上野介忠順、抒情画家竹久夢二、詩人サトウハチロー、自由学園を創設した羽仁もと子・吉一夫妻、言語学者金田一京助等錚々たる面々がこの地に眠っています。また、帝国大学で哲学を教え、漱石にも畏敬されたラファエル・ケーベルの墓は都の文化財に指定されています。

大鳥神社

正徳2年(1712)、出雲松江藩主松平出羽守の嫡子が疱瘡にかかって高田村下屋敷で療養中、出雲鷺の浦から鷺大明神が飛来して救ったといわれ、以来ここに勧請したのが始まりと伝えられています。 初め社は鬼子母神境内にありましたが、明治初年の神仏分離令により、大鳥神社と改称、ケヤキ並木付近に仮遷座し、その後、現在地を鎮座地として定め、日本武命を祭神として祀っています。 権現造の社殿は 昭和56年に造営されたもの。 毎年11月の酉の市には、商売繁盛を願う人々で賑わいます。

清土鬼子母神

入口門前に「鬼子母尊神出現所」と刻まれた石標があり、永禄4年(1561)、柳下若狭守の下男山本丹右衛門が、清土の田から鬼子母神像を掘り出したと伝えられています。境内には、池水に星影が不思議な光を宿して尊像の存在を知らせたと言われる星跡の清水(三角井戸)や、「此道に出て涼しさよ松の月」と刻まれた芭蕉の句碑「涼月塚」、「安政の名のみ残りてうつし絵の花に香もなく鳥に音もなし」と詠んだ歌碑があります。

本納寺

日蓮宗、妙永山。慶安3年(1650)日相上人により開基されました。境内には、月と花を詠みこんだ狂歌二首が蜀山人の筆で刻まれた月花塚、雑司ヶ谷の地に長く住み、舞台芸術学院の初代学長を務めた秋田雨雀の墓があります。

清立院

日蓮宗、御嶽山。約770年前、真言宗・清龍寺として創立。後に村を疫病から救った雲水が日蓮聖人像を寺に残したことから、日蓮宗・清立院と改められました。門の石段脇に「かさもり 薬王菩薩安置 清立院」と刻まれた石碑があり、雨乞いと皮膚病の祈願寺として尊崇されました。木彫毘沙門天像は区の文化財に登録されています。

威光稲荷

西暦800余年、慈覚大師により堂宇が建立され、威光稲荷大明神を祀ったのが始まりと伝えられます。入口から朱塗りの鳥居が迷路のように続き、不思議な世界に迷い込んだような感覚が味わえます。

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